『回顧録』1995年 カナダ南北縦断4000㎞人力の旅 (その3)バンクーバーから徒歩旅開始!

八兵衛

2019年07月04日 20:33


↑バンクーバー


↑カナダ南北4000km旅の地図(当時作成した旅行記より)


(その1)どこを、どう行くか!?
(その2)何を持って行くか!?
(その3)バンクーバーから徒歩旅開始! ←今ここ
(その4)雪と沙漠とインディアン
(その5)プリンスジョージの町に到着!
(その6)ついに熊と遭遇!
(その7)徒歩旅の続行と終了
(その8)憧れのアラスカハイウェイを自転車で走る!
(その9)絶不調!この旅最大の失敗
(その10)夢のホワイトホース到達!
(その11)ユーコン川をカヤックで下る
(その12)北極圏を自転車で越える!
(その13)ついに北極海!
(番外編1)テズリン川カヤック旅
(番外編2)チルクート・トレイルを歩いてアラスカへ
(最終回)夢の終わり これからの現実



「だからダメだと言ってるでしょう!」

バンクーバー空港のイミグレーションで
僕は女係員にキレ気味に怒られていた。

「8ヶ月、何でダメなんですか!?」
とキレ気味に返す、若き日の僕。

カナダには日本人なら通常6ヶ月間までなら
たいてい問題なく滞在が可能だけど、
僕は余裕を見て8ヶ月の滞在許可が欲しかった。

「8ヶ月も、あなたの目的は何ですか!?」

「徒歩(ウオーク)で旅をしたいのです!」

「仕事(ワーク)!?労働はダメです!」

「ワークじゃない、ウォークだ!」

(僕の下手な英語が通じないのか、
 はたまた世界で二番目に広いこの国を、
 徒歩で旅する、というのが理解されないのか。)

「とにかく!滞在は6ヶ月までです。
 それ以上は認めません!」

「8ヶ月だ!」

「NO!」

女係員は目を吊り上げて僕のパスポートに
ドスンドスンとスタンプを叩きつけている。
ダメだこりゃ。

(当時、6ヶ月以上の滞在は、就労ビザとか
 ワーホリとかが必要。
 この女係員の対応は正しいのですよ。)


***

突然始まりましたが、これは1995年の話。
僕の若いころのカナダアラスカ旅の話です。

当ブログは「ソロキャン」と「淡水釣り」の
カテゴリーなので、こういう旅行記事?は
カテゴリー違いな気もするのですが、
一応「ツーリングレポ」というジャンル、
ということにして、勝手に書かせてもらってます。

そんな『回顧録』シリーズですが
僕の自己満足大爆発のカテゴリーなので、
お構いなしに突っ走るのです(^^

今回は1995年カナダ南北縦断旅の「その3」です。

「その1」で「どこを、どう行くか」を考え、

「その2」で「何を持って行くか」を考えました。

今回からようやく本編、
バンクーバー滞在~徒歩旅行開始編となります。

さて、話を再び1995年のバンクーバー空港に戻しますね。


***

サンフランシスコとシアトルでの乗り継ぎ便に遅れが生じ、
前述のようにイミグレーションで手間取り、
バンクーバー空港で解放されたのは
現地時間で4月1日の、たしか夜10時過ぎだったかな。

空港の案内所で紹介された市内中心部の宿まで
タクシーで移動。

この日は土曜の夜なので遅い時刻なのに
バンクーバーの中心街は賑わっている。
タクシー車内から見える、
後ろに流れていくネオンや電飾の灯り。
まだ現実感がなく、夢を見てるような感覚。

繁華街近くのバークレイホテルに到着。
1泊57ドル(約4000円)
(1カナダドル=約70円)

(当時は円高で、
 1アメリカドル=80~90円台の頃。
 カナダドルも滞在中59円~77円まで
 変動激しかったけど、
 大雑把に平均を取って70円で計算します。)

部屋に入り、ベッドになだれ込んだ。

人生初の飛行機、人生初の海外、
わからないコトバ、見慣れない町並み。
そこへ時差ボケが脳味噌のあたりに
ネットリと重くのしかかってます。

・・・疲れた。
とにかく今夜は眠ってしまおう。




●バンクーバー滞在


翌朝からは情報収集と地図・ギア類の購入に、
バンクーバーの街中を走り回り・・・
と思いきや、この日は日曜日で
多くの店が閉店しており、あまり収穫無し。

それでも不慣れな英語で買い物し、道を尋ね、
僅か数時間の徘徊で、見るも無残にヘトヘトでした。

夕方、ホテルに戻り、
マクドナルドの大きなハンバーガーを食べながら
(恥ずかしながら最初の2~3日は
 買い物もロクに出来ず
 マクドを積極利用でした。)
(関西人なので「マック」じゃなくて
「マクド」です^^)
購入してきたカナダ道路地図を見ていると
ものすごく不安になってきたのです。

カナダ北部へ向かう道路沿線に
あまりに町や村が少なすぎるのだ。

60万分の1の道路地図だから
小さな村までは網羅されてないとは思うけど
道中、町から町までの距離が100kmはザラで、
200kmほど離れている所もある。

100kmとか200kmの無人区間!?

カナダ北部では、村から村まで最大590km
というのは冒険家・九里氏の本で知ってたけど、
カナダ中部でさえ、この有様!?

徒歩で100kmと言えば3日かかる距離なのです。

その間、飲料水は川から汲めるとしても
3日分の食料をリュックに積む必要がある。

それでも3日間ならキツイけど、
まあやれるだろう。
これまでの数少ない登山経験や知床探検で、
3日分の食料を積んで歩いた経験はあったので、
なんとかやれる自信がありました。

米やパスタ、インスタント麺を主食に
チョコや粉末スープ、あとカナダでよく売ってた
「パワーバー」というカロリーメイト的な
補助食品を駆使すれば可能でしょう。

しかしその距離が200kmとなると
さすがに苦しい!
単純計算だと休息日無しで6日間の無補給となる。
カヤックや自転車なら積載量の増減に
対応できるけど、リュック背負っての行動だと、
当時の僕には到底不可能に思えました。

(後になって長期のトレッキングや
 縦走登山などをするようになり、
 数日間程度の無補給行動には慣れました。
 この時にしても、
 3日間の無補給なら経験があったので
 「3日ならやれる!」と思えたように、
 これ自体は「慣れ」や「経験の有無」の問題で、
 事前に「数日間の無補給行動」を
 体験さえしておけば
 かなり解決する問題でした。
 この点については、大きな失敗でした。)

しかし最も問題なのは
「無補給」という不安ではなく、
その無補給区間というのは、
要するに「熊の巣窟」なのだ。
そこが不安の根元。

最悪、食料については少々なら耐えればいい。
毎日きっちり3食摂取しなければいけないわけじゃなし、
水は川から汲めるし、
チョコや干し肉などをチマチマと摂取すれば
1~2日なら凌げるだろう。

しかしこの100km無補給が一回きりならまだしも、
何度も連続で、となると、
熊の多さや、言葉の通じない不便も相まって
歩けるワケがない!
こんな旅はムリだ、この旅で僕は
死ぬのではないかと不安に苛まれた。

いかん。
1人でいると不安が増幅するので
ユースホステルに移動した。

ここなら日本人も数人いたし、
同年代の旅人と話していると
少し心が和らいだ。

***

バンクーバーでのアウトドアショッピングといえば
「マウンテン・イクイップメント・コープ」
が定番中の定番。(当時の話ね)

これはアウトドア生協で、
まずは会員になる必要があるが
(たしか5カナダドル)入会してしまえば、
カナダやアメリカの登山ギアを中心に、
オリジナルブランドのギア類も安く購入できる。

この店にはバンクーバー滞在中、毎日訪れ、
旅に必要な道具類をいくつか購入しました。

・サバイバルナイフ(ビクトリノックス)
・MSRのウォーターコンテナ(2リットル用)
・浄水用液体薬品(水1リットルに対して2~3滴垂らす)
・銀マット(実際はアルミ面の無い「水色マット」)

このほか、地図屋で25万分の1地形図を
十数枚ほど購入。
取りあえず約700km先の「プリンス・ジョージ」
という町までの分の地図を揃えた。
(これらの地図も全て残しておけばよかったのに、
 軽量化の為、使い終えるごとに捨てて、
 手元に残したのは1枚だけ。)


バンクーバーに約一週間滞在して、
情報収集も買い物も終えた。

これでもう、ここに留まる理由がなくなってしまった。

・・・ホントは怖い。
本音では出発したくない。
2年前、日本縦断の時は出発前に
こんなに不安になることはなかった。

自らここへ来たのに、
どうしても冒険旅をしたくて
ここまで来たのに、
旅の延期とか中止とか、
そんな理由ばかりを探している。







●リュックとギターを担いで徒歩旅開始


1995年4月7日 午後12時48分。

バンクーバーの繁華街、
ロブソン通りとバラード通りの交差点に、
ギターを外付けした大型リュックを背負って立つ。
ここをスタート地点に選んだのです。




歩き始めたらもう引き返せない。
苦しくツラい毎日が始まってしまう。
クマが出たらどうしようか。
食料調達はどうか・・・
やめるなら今しかない。今しかない。

行き交う観光客。
舗道にまで張り出したテラスでは
カップルや家族連れがコーヒーを飲んだり
ピザを食べたりしながら談笑している。
日本人らしい姿もチラホラ見かける。
みんな幸せそうに見える。

やめるなら今しかない。今しか・・・

ネガティブな思いを途中で打ち消し、
少し目を閉じて、大きく深呼吸をして、
それから僕は歩き始めた。

***

ライオンズゲート橋を渡って、
ウェストバンクーバーの町に入る。

4車線の高速道路みたいなハイウェイを歩いてると
みぞれまじりの雨が降ってきた。

教会の軒先で雨宿りをしながら
胸の鼓動を落ち着かせた。

恥ずかしながら、足も少し震えている有様。
武者震いとかそんなんじゃない。
旅の始まりの高揚感なども全くなく、
不安ばかりなのだ。

夢にまで見たカナダ旅、
初の海外旅行とはいえ、治安も良く、
日本人もたくさん居るカナダではないか、
と、考えるも
バンクーバーの釣具屋で聞いた話が
どうしても頭から離れないのだ。

「何!?歩いてユーコンまで行くって!?
 やめたほうが良い。
 君はこの国で毎年どれだけの人が熊に殺されてるか
 知らないのか!?」
(ブリティッシュコロンビア州だけで毎年10人~20人が
 熊の犠牲になってるそうです。)

「知ってます。知ってますけど、
 僕は歩いて旅をしたいんです。
 そのために日本から来たんです!」

「君の勇気は素晴らしいが、
 この場合は勇気とは言わない。
 クレイジーと言うんだ。
 悪いことは言わん、せめて自転車にしなさい。」



・・・わかってはいたことなのだ。
カナダ南北縦断がどれほど困難か。
もしも徒歩だけで達成できたとしたら
世界初かも知れない、と言われたほどだし。

冷たい雨が止まないので
新品のゴアテックス雨具を着て歩くことにする。
渦巻く不安で心の中まで土砂降り気分。
今はまだ歩くことが辛い。
沈んだ心に着せるゴアテックスの雨具はないものか。


暗い気分のまま高速道路みたいな
四車線道路の端を歩いていると、
横に車が停まって
僕と同い年ぐらいのお兄ちゃんが二人、顔を出した。

「ヘイ!よかったら乗っていかないか。」

(後に分かってきたのだけど、
 大型リュックを背負って街の中を歩いてると
 すぐに車が停まり「乗ってけ!」と、
 声がかかる国なのです。)

「ありがとう。でも歩きたいのです。」

「へえ、珍しいな!歩くなんて。
 それで、どこまでだい?」

「ユーコンだ。」

「ユーコン!?」(兄さん達のユニゾン)

「まあ自信はあまりないけどね、
 だけど少しでも遠くまで歩こうと思ってる。」

「そうか。君のように勇気のある男は
 初めてだよ。
 ゴッド・ブレス・ユー。」

「ありがとう!」


現金なもので、
こんな些細な会話で何だか元気が出てきた。

うん、そうだな。
何もユーコンだ、ホワイトホースだ、
と目を吊り上げなくてもいいのではないか。
もともと旅の後半は
カヤックも自転車も使う計画だったんだから。

歩けるところまで歩けばいい。
歩けなくなったら自転車を買って、
それで旅を続けよう。

この旅はカナダを南北縦断することが
一番の目標なのだ。
無理に徒歩にこだわるよりも
旅を成功させることを最優先に
考えなくてはいけない。

2500kmも先のユーコンのことは今は考えず、
まずは約720㎞先の
プリンスジョージという町を目標に歩いてみよう。
その先のことは、その時考えたらいい。

そう考えたらグッと気が楽になった。

自ら望んでやってる旅だけど、
考えてみれば結局は人との出会いや会話に
いつも救われている。
この2年前の日本縦断旅の時もそうだったな。

「1人が気楽でイイよね」とか僕もよく言うけど
本当は孤独に耐えられないんだろう。



初日は20㎞歩いてホーショウベイという
小さな港町のモーテルに泊った。

この町は対岸にある巨大なバンクーバー島への
フェリー乗り場があるので活気があり、
中国人の経営する「ありがと・すし」という
変な名前の日本食レストランもあったりした。

ホーショウベイまでの僕の歩いた道は
大動脈の大陸横断国道1号線だったのだけど、
ここからはローカルハイウェイ99号線となり
4車線が2車線となり交通量も減った。






翌日、海沿いの断崖のハイウェイ99を行く。
この断崖道路の下の方に鉄道の線路が見える。
この線路は「B.Cレール」という
ブリティッシュコロンビア州営の鉄道らしい。

この線路とはこの先もずっと隣同士で、
交差したり離れたりしながら
1000km以上先のドーソンクリークの町まで
ずっと旅を共にすることとなった。




いくら高緯度(北緯50°)で日没が遅いと言えど、
午後8時になればすっかり日が暮れてしまった。

異国でねぐらが見つからないまま日が暮れる、
というのは相当焦るもので、
空腹を抱えてセカセカと夜の国道を歩いてたら
レストランとキャンプ場の灯りを発見。

助かった!とレストランに飛び込み、
「ホットビーフ」というメニューを注文。

しかしそこで更に待ち構える難関。
アレですよアレ。
「チップ」ですよ!

当時でさえ当たり前のように
みんな海外旅行に行く時代だったから
こんな初歩的な悩みなどきっと
みんなには笑い話なんだろうけど
こちとら初の海外旅行で、
70リットルの大型リュック、という
大きなランドセルを背負った
ピカピカの一年生なのだ。

このチップというのを、
「何処で」「誰に」「いつ」出せばいいのかが
分からない。

食事をしたテーブルに1ドル紙幣を置いておけばいいのか、
レジでの支払い時に多めに払うのか。

でもそれだったらレジ係のオッサンにだけ
チップが渡ってしまい、
ホール係のカワイコちゃん(死語)には
チップが渡らないではないか。
どうせ払うのなら
オッサンより美人の方が良い。(力説)

結局このチップ問題、
数ヶ月後に帰国するまで
正しいやり方は分からないままだった。


食事を終えたらすっかり夜九時になったけど、
キャンプ場にはキャンピングカーがたくさん停まっており、
バンクーバーから数十キロのキャンプ場のせいか
なかなか賑わってたのでテント設営は問題なく。

思えばこれが記念すべき海外初キャンプ!

翌朝、明るくなって周りを見ると
テント泊は僕だけ。
皆、キャンピングカーやRVと呼ばれる
牽引型キャンピング車両だった。

のちにあちこちで知ることになるのだけど、
道路沿いのキャンプ場では
あまりテントは見かけず、
キャンピングカーがほとんどだった。




↑キャンプ場にウサギやリスが居たよ


朝、キャンプ料金10ドル払って出発。
とにかく当分の間、北へ北へと向かう生活だ。

太平洋沿いを離れ、スカミッシュという町の辺りから
山の中に入っていく。
次に海を見るのは数ヶ月後、
きっと北極海のイヌイット村のはずだ。

氷河で出来たU字谷なんだろう、
谷は深いのになだらかな勾配、
しかし夕方にかけてどんどん山深くなっていく。

このあたりから200kmほどの区間、
「海岸山脈」(コースト・マウンテンズ)という
標高2000m級の山岳地帯を越えていくことになる。

地図に記載されてた「ガリバルディ」という地名。
この村に到着すればテント可能な公園ぐらいは
あるのではと期待したのに一軒の家も見当たらず。

がっくり肩を落として更に数キロ先、
地図に描かれたキャンプサイト記号を目標に切り替える。

すると僕を追い越した車が急停止し、
若い男女が車から降りてきて、
僕を無理矢理車内に押し込んだ。

強盗か!?と思ったが、
男女の目は友好的だ。

「この先のキャンプ場へ連れてってあげるヨ!」

親切の押し売りでした。

・・・なんというか、
カナダには親切な人がホントたくさんいました。
あちこちで、当たり前のように手を差し伸べてくれる。

もちろん悪そうなヤツも居たし、
「イエロー」だの「ジャップ」だの
差別的なこと言うヤツもいたけど
99%の人はフレンドリーでした。

こんな感じで車に乗ることが、
この後も何度かありまして、こういう場合
日本縦断の旅の時なら、車に乗った地点まで
わざわざバスやヒッチハイクで戻って
歩き直したものだったけど、
カナダの田舎では乗合バスなどほぼ無かったし
(長距離バスはあるけど)
こういった場合は、戻ったりせず
そのまま旅を続行、ということにしました。

だから「カナダ南北4000km人力の旅」を謳ってるけど、
その他のトラブルもあり、
合計40kmほどは人力ではなく、
自動車に乗っています。
そこんとこご了承ください。


さて、親切カップルに
無理矢理連れてこられたキャンプ場。

車を運転していたマリー姉さんは
少しだけ日本に居たことがあるらしく、
別れ際、日本語で「マタ、アイマショー!」
と言って去って行った。

突然賑やかになったと思う間もなく、
また突然一人に戻った。

ここはキャンプ場というか、
残雪の森の中のピクニックサイトとでもいう感じ。
当時は写真も撮っておらず、名称も知らないままだったけど
グーグルマップで調べたところ
「カール=チーク・レクリエーション・サイト」
という名前で、写真も紹介されていた。↓

↑グーグルマップより

誰も居らず、木製のベンチとテーブルが二組、
それと簡易トイレがあるだけ。水道も無い。

夕闇が迫っていたので急いでテントを立て、
昼間、誰かがここに居たのだろう、
焚火跡がくすぶっていたので、それを再利用。
枯れ枝はたくさん落ちていたので
燃料には事欠かない。


↑旅の我が家、エアライズ2

雪渓から流れ出した
飛び上るほどに冷たい川から水を汲み、
焚火にコッフェルをくべ、
スパゲティを茹でる。

静まり返った残雪の薄暮の森。
焚火のほとりで異国での初の
今でいう「完ソロキャンプ」

こんな時ならギターでバラード?ブルース?
そういうのが似合いそうだけど、
なんとなく森の向こうの方から
熊がやって来そうな気がして落ち着かないので
賑やかでハデな曲をジャカジャーン!と
弾き、歌ってしまう。

しかし曲が終わった後の静けさが、
むしろ余計虚しいやら怖いやら。

寝袋に入っても熊が気になって
体勢を右に向けたり左に向けたり、
寒いのに寝苦しい夜を過ごしました。

(つづきます)



次の記事 → (その4)

前の記事 → (その2)


・・・というわけで、
ようやく本編始まりました。
結局この旅行記、
ものすごく長くなりそうな予感(^^;

当時のノートや資料を見ると
やっぱり色々ありすぎて、
特に旅の前半部には難所も、
省略できないことも、たくさんあり、
スミマセンが長い話になってしまいそうです。

次回は、
100kmの無人区間の峠越えや、
先住民族のインディアンについて、
といった話になりそうです。

オッサンの自己満足に
またお付き合いいただけたら幸いですm(_ _)m


(その1)どこを、どう行くか!?
(その2)何を持って行くか!?
(その3)バンクーバーから徒歩旅開始! ←今ここ
(その4)雪と沙漠とインディアン
(その5)プリンスジョージの町に到着!
(その6)ついに熊と遭遇!
(その7)徒歩旅の続行と終了
(その8)憧れのアラスカハイウェイを自転車で走る!
(その9)絶不調!この旅最大の失敗
(その10)夢のホワイトホース到達!
(その11)ユーコン川をカヤックで下る
(その12)北極圏を自転車で越える!
(その13)ついに北極海!
(番外編1)テズリン川カヤック旅
(番外編2)チルクート・トレイルを歩いてアラスカへ
(最終回)夢の終わり これからの現実


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