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若い頃、長い旅や登山・渓流釣りをやってました。 ブランクを経てすっかりオッサンになって再デビューです。

『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その1:冒険旅行への憧れ)

   

『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その1:冒険旅行への憧れ)


『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その1:冒険旅行への憧れ) ←今ここ
『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その2:鹿児島~阿蘇編
『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その3:阿蘇~四国~奈良編)
『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その4:奈良~新潟編)
『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その5:東北編)
『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その6:北海道前編)
『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その7:北海道後編 ついに宗谷岬!)
『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その8:旅のその後とあれこれ)




オッサンはもうアラフィフです。
そろそろ終活方向へのことも考え始めるお年頃。
最近、若いころに情熱を燃やしたことを
何かの形で残しておこうかと思い始めたのも、
このブログを始めた理由でもありました。

今回からの『回顧録』は、
1993年4月~8月にかけて行った
日本縦断徒歩旅行の話です。
数ヶ月間の旅なので、長くなる予定です。
テキトーに区切って、
時々書いていくつもりです。

今回の記事は旅に出る前の、
冒険旅行への憧れとかキッカケとか、
そういうプロローグ的な話です。
うわぁ、さっそくオッサンの「自分語り」出た!
とか言わないでお付き合いくださいませ(^^;

あと、文字ばっかりですm(_ _)m

***

1993年。当時24歳。
せっかく大学を卒業して就職したのに
僅か1年で退職。
15歳の頃からの憧れと目標を果たすべく、
いくつかの徒歩系冒険旅行に
出発することにしました。

まずは九州最南端佐多岬から北海道宗谷岬まで
日本縦断約3000kmを歩いて旅をすることに。

もちろん多くの人、
特に親戚からは非難轟々だったし、
身近な友人たちも批判的でした。
会社を辞める前に両親に
「これから数年間の徒歩旅行の計画」
を詳しくプレゼンしたせいか、
両親は何も言わず僕を送り出してくれました。
むしろ僕を非難してくる親戚筋からの
防波堤になってくれていたと思います。

あと、職場の直属の課長も僕を応援してくれました。
課長は一年しか在籍しなかった僕を
ずいぶんと可愛がってくれたものでした。
今、自分が当時の課長と同じ年齢になったせいか
最近よく思い出すんですよね~。

***

そもそも、ことの発端は14歳の頃。
冒険旅行の本を読みあさった時期があったのです。

あ、冒険旅行と言っても
トムソーヤがどーしたこーした的なものではなく、
学校や仕事を辞めて実際に冒険旅行を行った人の
実体験旅行記を読み耽ったものでした。

例えば高校を中退して自転車で世界一周とか、
会社を辞めて徒歩でアメリカ大陸横断。
そうそう、自転車とローラースケート二人組の
アメリカ横断、というのも読んだっけな。

今ではすっかり有名になった
「リヤカーマン」永瀬忠志さんの本も
確かこの時期に初めて読みました。

それら中で、アメリカを徒歩で5000km東西横断した
石川清さんという方の本が特に読みやすく、
ラストシーンは子供心に感動して泣いたのを
とても印象深く思えています。

影響を受けやすい少年時代ですから、
やはりといいますか、感化されますね。

「徒歩!自転車!冒険!
 カッコいい!僕もやってみたい!」


とか、

「世界一周はいくらなんでも無理やろ」

とか、

「アメリカ横断ぐらいならイケんじゃね?」

とかね。
アホですなぁ。

まあ、そんなふうに漠然とだけど、
いつか僕もそんなことやってみたいな、
と、ありがちだけど、
少年が一度は冒険旅行に憧れる、あの感じ。
オッサンにもあったピュアな時代。

そんな軽い感じの漠然とした憧れの中に
もう一つ心に留まったのが植村直己氏だった。
当時確か中学の国語の教科書に
「北極圏犬ゾリの旅」的な文章の一部が載っていて、
シロクマに襲われるシーンだったのは強烈に覚えている。
絶体絶命の瞬間、
奥さんの名前を叫んだのも子供心に印象的だった。

そんな頃、僕は中学の卒業旅行を
級友と二人でユースホステルに宿泊しながら
紀伊半島の数日間の旅をしたのでした。

国鉄の周遊券を使って鉄道やバスに乗りながら、
学生にも安心できるユースホステルとはいえ、
中学生で宿に泊まりながらの旅は
自分にとっては大冒険でした。

ユースホステルでの他の宿泊者は
大学生が多かったように思う。

そんな大冒険気分でいたところ、
そのユースホステルに
野宿ソロサイクリストが到着したのだ。

日焼けして逞しく
物静かな雰囲気の彼は高校一年生。

彼が乗ってたサイクリング自転車は、
当時写真でしか見たことのなかった
憧れのドロップハンドルに、
大きなサイドバッグ。
後ろの荷台には確か寝袋と思しき
大きな袋が括りつけてあったような覚えが。

彼自身にも、その自転車にも、
なんといいますか、
静かなる強い意思と迫力を感じました。

彼は僕と僅か1つしか歳が違わないのに、
テントを張りながら自炊しながら
全て自力で旅をしている!

衝撃的だった。

「俺は冒険旅行してるんだ!」
だなんていい気になってた僕は、
考えてみたら移動は鉄道やバスに頼り、
寝場所や食事は宿や食堂に頼り、
何ひとつ自立していないではないか。

だから、全てを1人でこなすサイクリストの彼に
狂おしいほど憧れたものでした。

でも恐れ多くて、憧れすぎて、
何も話しかけられず、
結局、名前も何も聞けないまま
彼は翌朝また旅立っていった。

自転車に跨って出発していく
彼の後姿を強烈に覚えている。
きっと僕はそれからの11年間、
あの後姿を追いかけていたのだと思うのです。

この出会いが僕の人生を変えたといっても過言ではないです。
大げさでなく人生変わったと思います。

***

高校一年生のサイクリストとの出会いは
衝撃的だったものの、
自分に自転車旅行の自信はなかった。
当然、自転車で一人旅をするなら
自転車の修理や整備を
ある程度自力でやれることが最低条件になる。
でも六角レンチやスパナやパンク修理等を
自分でやれるとは当時思えず、
かといってオートバイなんかもっと難しい。
そもそも免許所得も出来ない年齢だし。

それにそもそも世界一周よりは
若干は実現可能にしても
「アメリカ横断5000km」
というのはあまりに壮大で、
結局やっぱり無理な話だったのか、
と若干の諦めムードのような思いを持ちながらも
冒険旅行の本はずっと定期的に読んでいた。

そしてまた植村直己氏関係の本を読んだ時のこと。
もうタイトルも忘れたけど、
ライターさんが書いた、植村氏へのインタビューや
取材を通しての本だったと思う。
その中で、氏は当時国際的にも軍事的にも
不可能と言われていた
南極大陸徒歩横断3000kmを考えていたそうで、
その予行演習として同じ3000kmの日本徒歩縦断を
行った、と話していた。
 
これだ!と思ったね。
 
自転車は無理だとしても、
徒歩なら誰にでも今すぐ始められる!
いきなり海外は無理でも国内ならやれる!
国内が成功して自信がついたら
アメリカ横断をやればええんや!
 
やれる。これならやれる!

漠然としたモノクロの絵が
突然、天然色になったみたいに、
これからの道筋が明確になった僕は
俄然張り切りだした。
 
それからは少しずつ歩く距離を延ばしていき、
半日や日帰り、時に一泊で、
機会あるごとに歩くようになる。
初めての長距離は、
18歳の時、宮崎県日南海岸110km。
19歳で、徳島県「酷道」439号150kmや
京都から高知市まで約350kmなど。

そして二十歳すぎに、先日『回顧録』に書いた
二度の北海道徒歩旅行。

時間をかけて少しずつ距離を延ばし、
自分の自信の無さを克服していったけど、
実際に日本徒歩縦断を実行したのは
決心した15歳の時から9年先だし、
最終目標のアメリカ(後にカナダアラスカに変更)は
11年も先の話。

10代後半の頃はどっちかというと、
歩くことより、ホントは
ギターとかバンドとか作曲とかの
音楽活動に熱中してたんですけどね。
 
そうして途中をすっとばして9年後の4月、
日本縦断のスタート地点、
九州最南端の鹿児島県佐多岬に僕は立った。

(つづきます)
  

その2は→こちら


・・・というわけで、
次回の『回顧録』からはしばらくの間、
日本縦断の徒歩旅の模様を書いていくのですが、
何と言いますかね、
オッサンの自分語り・昔語りは
恥かしいですな(ーー;

そもそも普段の記事と
文体?口調?もなんか違うし。
きっとこれ無意識に昔を美化して
カッコつけてるんでしょうね~(´Д`;)


『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その1:冒険旅行への憧れ) ←今ここ
『回顧録』1993年 日本縦断徒歩旅行3000km (その2:鹿児島~阿蘇編
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この記事へのコメント
八兵衛さんこんばんは!

回顧録シリーズ、いつも非常に興味深く拝見させてもらってます(^-^)
とても臨場感があり読みやすい文章に惹き込まれています、ファンです(笑)

日本縦断はすごいですね!
これはぜひぜひ長く、詳細に自分語りしてほしいです!常人には経験できないような旅の記録は宝です、勉強になります。

おかゆ
2019年01月23日 23:02
こんばんは(^^)

照れなくていいですよ!
若い頃の冒険の回顧録楽しみですよ。

私は若い頃、冒険に憧れながら全く行動を起こしてないんで、この時自分は何をしてたんだろうと、時間を無駄に浪費していたことが悔やまれます。

だから、ハチさんの回顧録で冒険を疑似体験したいと思います(^^)

カムシカカムシカ
2019年01月23日 23:13
おかゆさん

こんちは!
嬉しいコメントありがとうございます
(^^)

自分的には不相応な大それた大冒険でしたが、
世の中にはものすごい冒険する人がたくさんおりましてね、
冒険家が集まれば僕のなんてありきたりの小さな冒険なんですよ。

でも個人的にはたくさん葛藤もあったし、
できれば冒険生活の終わりの、
夢を果たした後の元の生活に戻る時の苦しさまでを書いてみたいものです(^^)

八兵衛八兵衛
2019年01月24日 12:37
こんばんは(^^)/

待ってました「回顧録」シリーズ(^^)!

このシリーズ、楽しみにしている人が多数いるはずですよ♪その辺りの小説よりも、遥かに面白いですから(^^)

それにしても、中々出来ない中学卒業旅行をされていますね!一緒した友人も今はバリバリの冒険家かな(^^)

僕も今年は、色々な人生の冒険をしそうです♪

続き、本当に楽しみにしています(^^ゞ

太公望太公望
2019年01月24日 20:04
カムシカさん

こんばんは!(^^)
ありがとうございます!
嬉しいです\(^o^)/

とはいえ冒険旅行はだいたい出発前は波乱万丈だけど、
冒険の日々は3日続けばもうそれは日常なので、
徒歩が始まれば淡々と歩くだけで
実はあんまり書くことないんですよね(^^;
なんとか膨らまして書いてみますね!

ありがとうございます\(^o^)/

八兵衛八兵衛
2019年01月24日 20:51
太公望さん

こんばんは(^^)
嬉しいコメントありがたきシアワセ〜\(^o^)/
励みになります!
ありがとうございますm(_ _)m

まあ、相変わらず『回顧録』シリーズは不人気気味なんですが、
書いててやっぱり楽しいのです(^^)

若い頃をもう一度思い出して
なぞり返す作業もオッサンになれば
悪くないな、と。
続きは気長に待って下さい\(^o^)/

八兵衛八兵衛
2019年01月24日 20:58
あらためてお伺いすると、物凄く沢山の冒険をしてらっしゃるんですね(*_*)

凄いです!
人間の影響力って凄いですね~
人生を左右するような出会いを出来るなんて羨ましいです!

hiro155hiro155
2019年01月25日 12:45
こんにちは。
私も大ファンの一人ですよ!
若い頃に冒険をしてこなかったおっさん(私のことですよ)には後悔よりも羨望の眼差しでよませてもらってます^_^
日本縦断徒歩旅行模擬体験させてもらいますね〜

くじらなわくじらなわ
2019年01月25日 18:35
hiro155さん

こんばんは(^^)
コメントありがとうございます!

僕に人生を変えた出会いがあったように
もしかしたら僕も当時誰かに影響を
与えてたかも知れない、と思うと
今、ビールでヒャッハーな堕落オヤジでいいのだろうか、と考えたりします。
考えるだけで堕落は是正しませんが\(^o^)/

八兵衛八兵衛
2019年01月25日 20:00
くじらなわさん

こんばんは(^^)!
ファンだなんて!(*´艸`*)
嬉しいコメントありがとうございます
m(_ _)m

昔語りは、ついカッコつけてしまうあたりが
どうにも恥ずかしいのですが、
でも、当時をなぞり返して思い出に耽るのも悪くないな〜、と楽しんでます。

八兵衛八兵衛
2019年01月25日 20:05
確かに常人には出来ない事ですね。
記事にして伝えないと自分の中だけで
終わってしまいますからね。

冒険、素晴らしいです。

山猿山猿
2019年01月26日 00:01
山猿さん

おはようございます(^^)
コメントありがとうございます
m(_ _)m

若い頃の冒険旅行はこれまで
日常生活では周りの人からは
ほとんど否定ばかりでした。
だから社会復帰してからはほとんど誰にも話さず過ごしてたのですが、
残り少なくなってきた人生、やはり誰かに話したい!
と思い、こんなふうに書くことにしました(^^)
こんな自己満足にお付き合いしていただき
ありがとうございますm(_ _)m

八兵衛八兵衛
2019年01月26日 08:59
昔語り、カッコつけていいと思いますよ。
いよっ、はっさんカッコいい!

それにしても入社一年で退社して徒歩の旅に出るとは周囲の反対も頷けます。
それを押し切っての冒険旅行、カッコいいじゃないですか!
若い頃にしかできない貴重な体験ですよね。
続きを楽しみにしてます!

ウーパーウーパー
2019年01月27日 12:41
ウーパーさん

こんばんは(^^)
嬉しいコメントありがとうございます
m(_ _)m

当時はコレをやらなきゃ人生この先進めない!
という感覚でしたね。
かと言って、その後の人生が良くなったかといえば
特に変わらずでしたが(^^;

八兵衛八兵衛
2019年01月27日 22:49
八さん
コレ、ヤバいす。
プロローグからハマってしまいました。
ゆっくりと噛み締めながら続編を楽しんでいきたいと思います。
心の底に澱の様に存在する、ヲッサンの冒険心に火がついた感じです。

一輪駆動一輪駆動
2019年03月08日 09:04
一輪駆動さん

こんばんは(^^)
嬉しいコメントありがとうございます!

心に火がつきました!?
もしそうだったら、こんなに嬉しいことはありません\(^o^)/

僕も回顧録を書きながら、
「もう一度、冒険してみたいな・・・」
と、フツフツとかすかにだけど
沸き立つものがあります。

続編、ゆっくりですが書いて行きますので
気が向いたら読んでやって下さい(^^)

八兵衛八兵衛
2019年03月08日 22:12
こんちは
過去記事ですけどコメント
まだ全部読んでません
けど
メッチャ気になって
(八兵衛さん、ひょっとして昔バンドでいいとこまで行ったんかな?ってさ)
八兵衛 冒険 バンド
でググったらここに辿り着きましたw

前置きいらないですねw

いや
っつーか
年齢が多分タメか一個上かなって思ったので

1969年3月生まれです

shinn.shinn.
2019年06月17日 12:47
shinn.さん

こんばんは!
まさかのキーワード検索!?

いやいや!僕はバンド、全くダメでしたよ。
ソロもデュオもバンドもそれぞれやりましたが
デュオで曲作って、
コンテスト出場して一時予選通過が最高位でしたよ(^^;

それ以外で、個人で曲作ってスタジオ借りて
カセットテープに多重録音して
「10曲入りアルバム」とか作ってましたよ(^^;
ひとりでドラム・ベース・キーボード・
ギター・ベース・歌・ハモリ全部やるやつ。

・・・まあ、超絶自己満足作品でしたが
とにかく冒険に音楽に活動しまくってた時期でした。

ぼくは1969年の2月生まれですんで、タメっすね!^^

八兵衛八兵衛
2019年06月17日 20:24
八兵衛さん

人は何故
タメの人と遭うと嬉しくなるんでしょう?
うわーい(^ ^♪

音楽
僕はコピーばっかりで
SRV好きのギターの後輩とやってました
楽器はベースですけど
全然出来ません
ただ
バンドがやりたかった
って世代です

コンゴともよろしくお願いしますm(_ _)m

shinn.shinn.
2019年06月18日 18:37
shinn.さん

うわーい(^^♪

僕はもともとフォークソング出身なんですよ。
高校時代の相方が歌上手くて、
僕はギターとハモりばかりやってました。

大学で音楽サークル入ってバンドやるようになったものの
根っこにフォークがあるせいか
ヘビメタやってもブルースやってもポップスやっても
「お前のギターはフォーク、というかむしろ演歌だな!」
だと言われました(^^;

バンドも楽しかったけどキャンプと同じで
やはり僕はソロが好きで、
音楽もソロがメインでした。
ひとりで全部作ってひとりで全部演奏するの。

でも仲間とドラム・ベース・ギターの3人で
アドリブの即興ブルースなんかを演奏するのは
この上ないワクワク感で、
あの興奮は忘れられないっすね~

shinn.さん、
ご近所だったらオヤジバンド組みたいですね^^

八兵衛八兵衛
2019年06月18日 22:20
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