『回顧録』1995年 カナダ南北縦断4000㎞人力の旅 (その2)出発前:何を持っていくか!?

八兵衛

2019年06月07日 20:53


エアライズ2の中から



(その1)どこを、どう行くか!?
(その2)何を持って行くか!? ←今ここ
(その3)バンクーバーから徒歩旅開始!
(その4)雪と沙漠とインディアン
(その5)プリンスジョージの町に到着!
(その6)ついに熊と遭遇!
(その7)徒歩旅の続行と終了
(その8)憧れのアラスカハイウェイを自転車で走る!
(その9)絶不調!この旅最大の失敗
(その10)夢のホワイトホース到達!
(その11)ユーコン川をカヤックで下る
(その12)北極圏を自転車で越える!
(その13)ついに北極海!
(番外編1)テズリン川カヤック旅
(番外編2)チルクート・トレイルを歩いてアラスカへ
(最終回)夢の終わり これからの現実



すったもんだがあって前回
ようやく「どこへ、どう行くか?」
が決まりました。

行先はカナダ。
ルートは、西海岸のバンクーバーを出発して
ひたすら北に向かい、
北極海のイヌイット村がゴールです。
その距離約4000km。

メインは徒歩だけど、
ユーコン川はカヌーかカヤック、
(現地でレンタルできます)
北極圏では自転車なんかも必要になりそう。

今回の記事は旅に持っていく道具選定の
アレやコレやについてです。



・「道具」から「装備」へ

前年、1993年の日本縦断の旅までは、
ホントお粗末な道具で
「何となくの憧れと安価さ」で、
深く考えずに道具類を選んでいたけど、
さすがにカナダはデカすぎる。

食料補給や熊対策、厳しい気象などきっと困難を極め、
特に旅の中盤以降は人家がほとんどないので
何かトラブルが起こっても自力で凌ぐしかない。
だから、

・軽量コンパクトなもの
・信頼性の高いもの
・価格にはあまり拘らない

という観点で「装備」を考えました。

余談だけど、
この時期から自分の中で「道具」ではなく
「装備」という言葉を使うようになりました。

これは当時は全くの無意識で、
数年後になって気づいたのですが、
そういえば後の沢登りやクライミングや
ガチ登山時なんかも「装備」と言っていて、
現在の堕落キャンプでは
ふたたび「道具」という感覚に戻ってます。

***

テントについては今までブログ記事で
何度か書きましたが、悩みに悩んで
アライテントのエアライズ2を選定。

参考記事↓

2018/10/14



2018/04/26





・ガソリンストーブ

ストーブはMSRの
ウィスパーライトインターナショナル600。



このストーブは白ガス使用が望ましいとしながらも、
その他ガソリン・灯油など
燃料は何でも使え、かつ構造が簡単で
自力でのメンテや修理がしやすく、
折り畳み式でコンパクトなのも大きな理由。

現地で白ガスが尽きたり、入手できない場合でも
最悪、通りすがりの車に
タンクからガソリンを分けて貰うという凌ぎ方も可能。

それまでガソリン系ストーブというと
コールマンとオプティマスが双璧だったけど、
それ以前から特にオプティマスは
真鍮製のレトロな質感の良さで骨董品的価値が高く、
またコールマンは質実剛健なストーブだったけど、
重く嵩張るので登山や冒険系には敬遠され気味でした。

その点、コンパクトさと汎用性で、
当時の登山家や冒険系の人の多くが
MSRを使うようになってきており、

「道具」としてならコールマンかオプティマスだけど
「装備」としてならMSR

そういう位置づけに切り替わった時期ではないかな、
と当時考えてました。
(僕の偏った断片的な知識による印象です。)


・テントマットの選定

テントマットも迷いました。
なんせ睡眠に関わることなので、
昼間の行動の「質」に直結するからね。

それまで僕はずっと1000円程度の所謂
「銀マット」を使ってたのだけど、
寝心地が段違い、とのことで
今では定番のカスケードデザイン「サーマレスト」
(空気で膨らむウレタン系のヤツ)
これを一度は選択したのです。

当時たしか1万円ほどで購入したものの、
しかし出発寸前になって、リストから除外。
結局、銀マットにしました。

除外の理由は、
長旅の最中にマットに穴が開いて空気が抜け、
使い物にならなくなるのではないか、
との懸念でした。

いろいろ調べてみても、
当時は長期旅の使用実績があまり見つけられず、
命の危険のある辺境の長期行動では
どうにも信頼を託せなかったのです。

もちろんウレタンなので空気が抜けても
一定の厚みは確保できます。
しかしそれだと「銀マット」と同じくらいの
性能にしかならず、重量を考えると
銀マットの方が断然軽い。

徒歩旅は重量にものすごく敏感です。

それなら最初から銀マットにしておけば
圧倒的に安価で軽量なのだ。
泣く泣くリストから除外し、
バンクーバーで購入した
10ドル程度の普通の銀マットを使いました。

現在だったら「リッジレスト」とか
「Zレスト」なんていう、
寝心地よく、破損しない「銀マット系」が
あるんだけどね。

あとそれと、人力移動してヘトヘトな夕方、
テント設営してマットを口で膨らませて、
翌朝マットの空気を抜いて体重かけての収納作業、
これを毎日繰り返すのは、かなりシンドイのですよ。

銀マットなら一瞬でセットでき、
一瞬で片付けられる点が圧倒的に便利。
(カナダ直前に、道具一式本番さながらに
 九州横断徒歩旅で使ってみて良くわかりました。)

↑リュックの上に乗ってるのがサーマレストです


周囲からの助けを期待できない辺境地では

・壊れないこと
・壊れても自力で修理できること、
・そこにあるもので代用が効きやすいこと

これらが特に大事。
つまり「先進」より「汎用」が強い、
ということではないかと。

この辺りの選択はいろいろ悩んだけど、
結果的に信頼度の高い、
当時の定番的なものを選んでますね。


・大型リュック

あと、リュックも悩みに悩みました。

徒歩メインの旅なので、
一日の半分はリュックを背負っているわけなので、
背負い心地や自分の背中へのフィット感、
現地での荷物の増減に対応可能なギミックなど。

持参するキャンプ道具類は軽量化するとはいえ、
補給困難な食料を数日分運ぶことが多くなるはず。

あと今回は一眼レフカメラやギター、
文庫本なんかも積むので、
結局重量は通常時23kg~25kg程度。
最大時30kg程度を想定した。
必要なリュックの容量は
70リットル前後ぐらいだろうか。

日本縦断時に使ったジャンスポーツの
アウトフレームザックは、
途中で腰ベルトや肩ベルトがちぎれる、という
「もしこれが辺境地だったら」と考えると、
これ相当に深刻なトラブルです。


だから新たなリュック選定については、
丈夫さは勿論、
背面システムやインナーフレーム形状等、
いろんなショップに足を運びまくって吟味。
とにかく電車で京阪神の店には一通り行き尽くした。

これはホント結論が出ず、悩みました。

当時の最高のリュックは
「グレゴリー」だと思ってたのです。
現在では量販店でも販売されてるグレゴリーだけど、
当時グレゴリーといえば、

「リュックは背負うものではない、着るものだ。」

とのキャッチフレーズが有名でした。

背広や靴が個人個人のサイズに合わせて
オーダーメイドするように、
リュックだって個人個人の背中のサイズに合わせた
フィッティングをするべきだ、という考えで、
グレゴリー専門の「フィッター」の居る店でしか
販売しない、という姿勢だったのだ。

それで、グレゴリーショップに行って
いろいろなリュックを背負ってみた。

・・・ところが、悪くないものの、
7~8万円の値打ちを感じなかった。

当時の大型リュックで背負い心地の良い、
僕にとっての候補ブランドは

・グレゴリー(約7~8万円)
・ミレー(約5万円)
・ジャックウルフスキン(約3~4万円)
・ロウアルパイン(約3~4万円)
・ゼロポイント(モンベル)(約2万5千円)
(価格は薄~い記憶です)

いくら価格に糸目を付けない姿勢だったとはいえ、
上記の中で最安値のモンベルと
あまり差を感じなかったものだった。

だったらモンベルでいいのでは?
との結論になり、
最終的にはリュック含めたいくつかのギアを
モンベルに提供してもらうことにしました。

・モンベル

現在ではオートキャンパーや、
アウトドアをやらない一般の人にも
馴染み深いモンベルですが、
当時は今より登山色や冒険家色が強く、
モンベルのカタログの最後の方に

「冒険旅行や海外遠征に出かける方、
 ご連絡ください。協力します。」

といった意味のことが記載されていました。
(この文言、いつのまにか消えてますね。)

で、モンベルに電話をかけてみたところ、
「旅の計画書を送ってください」
とのこと。

計画書を送り、
一ヶ月ほど経過しても返事がなかったので
再度電話をすると
「じゃあ提供しましょうか」
という返答だった。

きっと僕のような人がたくさん居て
返事を待ってるだけでは話はまとまらず、
こちらから積極的に攻めなければ
ダメだったんでしょうね。

提供条件は

・旅の後でレポート提出のこと
・モンベル製品を使ってる現地での写真の提出
・提供は半額分とのこと(モンベルと僕で折半)

ただ、こういったスポンサーについて
僕は懸念してることがあったのです。

ロッククライマーの知人から、
スポンサーについての「裏表」を色々聞いており、
以下の点をモンベルに確認しました。

・現地で計画の変更や、途中断念は許されるのか。
 その場合、提供分の返金などの必要はあるか。
 
・写真の提出はもちろん構わないが、
 全ての写真、記念写真などもモンベル管理になるのか。
 要は写真の著作権や所有権は誰になるのか。

例えば高峰登山や冒険レースなどでは、
スポンサーに資金援助してもらってるので
危険が迫っても引き返せない、とか
断念出来ない、という話はよく聞いたし、
知人から聞いた話では
現地で知り合った人と撮った記念写真でさえ、
スポンサーに焼き増しの許可が必要だったとか。

自分の旅なのに、がんじがらめで
旅の主体が自分ではなく、
スポンサーが主体になってしまう現象。

これらを懸念していたので
モンベルの広報の方に確認した。

すると
「計画の変更や断念は全く問題無しですよ。
 スポンサーのせいで引くに引けなくて
 遭難だなんて、本末転倒じゃないですか。
 ただ、だから半額程度しか提供出来ないんですが。」

「写真はもちろん全て八兵衛さんの物です。
 いくつか良さそうな写真を選んで
 モンベル本社に送っていただいたら、
 後日返却しますんで。」

とのことでした。

ヨカッタ~!(*´▽`*)
これなら安心して提供してもらえるね!

現在はどうか不明だけど、
当時のモンベルのスポンサー制度は敷居低かったので
少し冒険的なことを考えてる人なら
取りあえず電話してみるのもいいかもですよ?

ちなみに提供物資は

・大型リュック (トレッキングパック70)
・ゴアテックス雨具 (ストームクルーザー)
・ソーラーパネル単三充電器(京セラとの共同開発)
・新素材アンダーウェア(超速乾。重宝しました)
・ポケッタブルデイパック (あまり使わなかった)
・トレッキング用折り畳み傘(重宝しました)

以上。

寝袋については、
直前に近所の登山の店で安価なのを購入済み。
これが今ひとつで、
まとめてモンベルにお願いすれば良かったと
後悔したものでした。



色々ありがたいモンベルでしたが、
当時のモンベルには「軽量ドーム形テント」が無く、
(定番のステラリッジテントは当時まだ無かったのです。)
テントだけは「アライテントだな!」
と思っていましたし、これは今も思ってます。

翌年の帰国直後、アライテントさんに
テントの修理の相談をしたところ、
モデルテェンジ版の「エアライズ2」
を提供していただきました。

その後、冒険の写真や使用レポを送ったり、
「こんなテントを作ってほしい!」的な
欲望炸裂なテントの絵を送ったりしてたら
その後「トレックライズ1」の量産販売前の
プロトタイプ?などを
提供していただきました。

この試作トレックライズ1は今でも現役で
主に冬キャンのインナーとして使ってます♪
フライは劣化したけど、
インナーはまだ当分現役でしょう。
これは捨てれないです^^

カナダ旅の前後はメーカーさんと
「提供してもらう+使用感と改善点を報告する」
といった感じで、
しばらくお付き合いさせてもらいました。

カナダアラスカ旅の装備の一部だけど、
こんな感じになりました↓

後述しますが、当時作成した旅行記より。


・旅行記の作成

それから、もう一つ、
このカナダ旅は旅行記を書こう!と決めていました。

自主製作のコピー本でいいから
キチンと「旅行記」というのを書いて、
形に残したかったのでした。

(現在ならブログがあるので、
 こういったことも気軽に出来るのですが。)

なので、現地では観光案内所のパンフレットや
図書館で資料を調べたメモ等、たくさん集めて
日本の実家に送り返し、旅行記の資料にしてました。

後に作成したのがコレ↓






B5版で64ページ
当時、約250部ほど実費で配布しまして、
ひょっとしたら当時、読まれた方も居られるかも?


・雑誌に連載!?

で、この冊子を
「アウトドアイクイップメント」
というアウトドア月刊誌(後に廃刊)
の編集部に送ったら
すぐに採用されて、3ヶ月間の連載??
のようなことになった。

同誌には有名ライターさんでいうと
堀田貴之氏なんかがよく書かれてました。

アウトドア雑誌の中でも、
バックパッキング旅や脱力系冒険、
あとカヌー旅や自転車旅などを題材にした
一見、ユルい感じで、
実はかなり硬派な紙面でした。
(ただ、あまり売れてなかったような(^^;





毎月3~4ページの掲載だったけど、
編集部で大幅に編集されての掲載だったし、
文章のヘタなところを適当に修正してくれたり
逆に、カットしてほしくない部分を
大幅カットされたりで、
まあ「商業誌に連載された」というだけで、
内容的には正直言えば不本意でした(^^;

いや、もちろん無名の新人の僕が
いきなりこんな破格の扱い方をしてもらって、
とても嬉しかったのですよ!\(^o^)/


・・・とまあ、こういう経緯だったので、
このカナダ旅は「発表済み」と思い、
このブログでは書かないつもりでした。

でもオッサン目線で四半世紀ぶりに
この旅を振り返ってみたら、
当時書いた旅行記と現在とでは
どんなふうに違うのか、
自分でも興味が出て来まして。

それと当時の旅行記では、
今回記事みたいな出発前の事は書いてなかったし、
アラスカ他、あちこち寄り道した事にも
触れていないので、その辺も含めた完全版?
とでもいいますか。

本編以外もたくさんあるんで、
結局、長い話になりそうです。
(すでに長いよね)

あ、念のためですが、
当時、雑誌掲載の原稿料などは貰ってないんで!
それもあってブログに書くことにしました。




長い長い前置きでしたが、
さて、そろそろ旅に出発です。

4月1日、関西新空港から
人生初の飛行機でバンクーバーへ!

(つづきます)






(その1)どこを、どう行くか!?
(その2)何を持って行くか!? ←今ここ
(その3)バンクーバーから徒歩旅開始!
(その4)雪と沙漠とインディアン
(その5)プリンスジョージの町に到着!
(その6)ついに熊と遭遇!
(その7)徒歩旅の続行と終了
(その8)憧れのアラスカハイウェイを自転車で走る!
(その9)絶不調!この旅最大の失敗
(その10)夢のホワイトホース到達!
(その11)ユーコン川をカヤックで下る
(その12)北極圏を自転車で越える!
(その13)ついに北極海!
(番外編1)テズリン川カヤック旅
(番外編2)チルクート・トレイルを歩いてアラスカへ
(最終回)夢の終わり これからの現実



次回からようやく本編です。


当時の旅行記はワープロで書いてたので
テキストデータを流用するつもりでしたが、
毎日書いてた日記を改めて読み返してみたら、
当時はスルーしたけど、今だったら
スルーできない小さなエピソードもたくさんあり、
時間かかるけど、やっぱりオッサン目線で
ほぼイチから書き直します(^^;

気長にお付き合いヨロシクですm(_ _)m


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