(その8)からの続きです。
アラスカハイウェイを自転車で走り始めて数日後、
ピンクマウンテンのキャンプ場にブラックベア出没で、
キャンプ場は大騒ぎ!
・・・と、前回の終わりは上記のような感じでした。
(その1)どこを、どう行くか!?
(その2)何を持って行くか!?
(その3)バンクーバーから徒歩旅開始!
(その4)雪と沙漠とインディアン
(その5)プリンスジョージの町に到着!
(その6)ついに熊と遭遇!
(その7)徒歩旅の続行と終了
(その8)憧れのアラスカハイウェイを自転車で走る!
(その9)絶不調!この旅最大の失敗
←今ここ
(その10)夢のホワイトホース到達!
(その11)ユーコン川をカヤックで下る
(その12)北極圏を自転車で越える!
(その13)ついに北極海!
(番外編1)テズリン川カヤック旅
(番外編2)チルクート・トレイルを歩いてアラスカへ
(最終回)夢の終わり これからの現実
ピンクマウンテンの熊騒動を尻目に出発。
州営キャンプ場のバッキングホースリバー泊。
ここは村ではなく、売店なども無く
単にキャンプ場があるのみ。
こういった州営キャンプ場はたいていは快適設備は無く、
場内の立て看板に最低限のルールが書かれている。
・キャンプ料金は料金箱に各自入れること。
・ゴミ箱の蓋は必ず閉めること。
・ポンプ井戸の水を使う場合は5分間煮沸すること。
・雑排水は専用の流し場に捨てること。
(Grey Waterと書かれた濾過桝に流す)
多くの州営キャンプ場料金は「1サイト」料金なので、
ソロキャンパー同士でシェアすると安上がりなのだ。
1区画あたりだいたい7~10ドル程度。
区画が広く、1人用テントなら
1区画で3張りぐらい張れるので、
テントキャンパーを見かけたら
声を掛けてシェアし合ったものでした。
(でもテントキャンパー自体が少ない)
また僻地では水道が無い場合があり、
手動ポンプ井戸で、各自勝手に汲み上げてください、
という場合も多かった。
必死こいて手動ポンプ井戸と格闘中
カナダでは自然発火の森林火災が多く、あちこちでこのような不穏な煙が空を覆っていました
翌日は約85km走ってプロフェットリバー村に
午後2時半到着。
全体的に村全体が乾いた印象。
道路沿いには人家は見当たらないけど、
林の向こう側に人家があるのだろう。
子供たちが数人と、若者も2~3人いて、
売店付近で所在なくたむろす感じ。
その売店でハンバーガーとコーラで遅い昼食。
売店の裏が簡易キャンプ場になってるらしく、
今夜はそこでキャンプをするつもりだったのだけど、
この村の子供たちの僕に対する
からかうような態度と、イヤな目つきが気になる。
カナダに来て、こんなのは初めてだ。
子供は周りの大人を見て真似をする。
だからきっとこれは子供だけの態度じゃなく
村全体の態度なのではないか。
どうも危険な気がしたので、
この村からすぐに離れることにした。
ここからも当分の間、村や補給所といった施設は無く、
次の村マスクワまでここから80km余り。
そこまで行けば立派なキャンプ場があるらしい。
今日すでに約一日分の距離85kmを走ってるのに
このあとさらに80km走るのは相当無理があるのだけど
この村に滞在するのは危険、との予感。
今、午後3時。
80km先のキャンプ場到着は午後9時頃か、
頑張れば午後8時頃か。
高緯度地方の初夏なので、すっかり日が長い。
午後8~9時ならまだ充分行動できる明るさなので、
エイヤッ!と出発。
ここからは景色も見ず、写真も撮らず
走ることだけに集中。
走る。
走る。
無心に走る。
自転車走行は意外に目が疲れるのでサングラスをかけて
変速機をトップギアにして最小限のエネルギー。
自転車のタイヤがダート用ではなく、
オンロード用だったらもっと速くラクに走れたのだけど
この時の僕はまだその違いを知らず、
「速い!すげー!」
と徒歩旅時代にはあり得なかった高速移動に
驚いていたものでした。
(平坦地のトップスピードで時速30km程度ですが。)
通常僕は1時間に1回、5~10分程度休憩を取るのだけど
この時はペースを崩したくないので休憩は取らず、
1時間に1回10分間ほど、走る速度を落として、
走りながら休憩する方法をとった。
信号も交差点も無く、通行車も少ない
こんな場所ならではの方法。
◆子連れ母熊と遭遇◆
そうして2時間ほど走った所で、熊出没!
幸いにもブラックベア。
道路すぐ脇の草地に母熊と2頭の小熊が居た。
僕の前方50m程度か。
母熊は全身で僕を威嚇し、唸り声を発している。
3週間ほど前、徒歩旅で初めて熊に遭遇した時、
接近してくる熊の姿に恐れおののいたものだけど、
地元のおやっさんの言う、
「それ、熊の好奇心だよ、大丈夫だ。」
その時は初めての熊遭遇でパニックだったので
威嚇か好奇心かなんて全くわからなかった。
しかし今、目の前にいる母熊は間違いない、
これが「威嚇」か!
熊との距離が離れてるし、
母熊が僕に接近してくるような動きもないし、
僕も自転車だから、怖いながらも落ち着いていたけど、
なるほど理解できた。
表情も目も声も姿勢も、
全身で威嚇を表わしている!
こないだの初めての熊遭遇の時のは、
あれは威嚇じゃない。
言われてみれば、あの時のあの表情、あの姿勢、
確かに好奇心の類だ。
母熊のすぐ脇の小熊2頭は草むらでじゃれて遊んでいて、
僕の存在に気づいた途端に、
嬉しそうにピョンピョン跳ねて
僕の方へ駆け寄ろうとするのだ。
「遊んで遊んで~!」
と体全体で僕に訴えてますよ!
表情がね、明らかに嬉しそう。
もうね、小熊かわいすぎる!
殺人的かわいさ!
ぬいぐるみのようなクリクリの目!
思わず1頭持って帰りたくなるよ!
小熊に萌え殺される!(´Д`;) ハアハア
しかし威嚇真っ最中の母熊が前足で
小熊の頭を押さえつけて、僕を睨む。
小熊はジタバタしつつも、
まだ僕への好奇心が止まらない。
萌え萌えで(*´ω`*)←こんな顔だった僕もようやく我に返る。
このまま道路を進行すると
熊のすぐ横、10数メートルほどの所を通過しなくてはならず、
これはさすがに危険すぎるし、
カメラの望遠レンズをセットして熊撮影したいけど、
母熊との
メンチ合戦真っ最中で、
目線を切ることもできない。
睨み合ったまましばらく考えあぐねていたところ、
後ろから一台の乗用車が来て、
熊と僕の間で、僕をガードするような位置で停車してくれた。
クラクションを鳴らして熊を追っ払ってくれるのだけど、
母熊は鬱陶しそうな表情のまま動かない。
車がいてさえも膠着状態。
母熊恐るべし!
さらにもう一台、反対方向からトラックがやってきて
このトラックも僕を守ってくれる位置に停車してくれて
クラクション攻撃。
さすがに母熊が嫌がって渋々移動を始めた。
乗用車の窓が空き、
「今のうちに行っちまいな!」
とドライバーが僕に合図。
僕は2台の車にジェスチャーで礼をして、
全速力で現場を走り抜けた。
・・・はぁ~、ちょっと怖かった!
以前に比べたら熊への恐怖感は減ったけど
これが徒歩だったら、と思うと恐ろしい。
やっぱり自転車に乗り換えておいて良かった・・・
***
母熊騒動以降、気を取り直して
再び、ひたすら走りに集中し続け、
午後7時過ぎ、キャンプ場まで残り10kmほどの地点で
体力が底を尽きかけてきた感覚があり、大休止。
チョコを一口食べて約30分間、
道端に寝ころんで体と目を休めた。
自転車初日に無理な走行をしてブッ倒れてしまい、
そうなると体力回復に時間がかかることが分かったので
倒れる前に長めに休憩を取ることにした。
想像以上に目が疲れてるのでタオルで目を覆う。
この30分で想像以上に体力が回復し、
残りの10kmをペースを落とさず走り切り、
午後8時過ぎ、キャンプ場到着!
この日、結局166km走ったけど、
ブッ倒れるほどの疲労にはならず、
要所での休憩の重要さを実感。
ちなみに僕にとっての一日166kmは
ものすごい長距離だけど
オンロード用の「スリックタイヤ」で
長距離を走る人なら、
一日200km以上を余裕で走るようですよ!
◆フォートネルソンで安全を満喫◆
翌日の走行は約10kmのみ。
ドーソンクリークから7日目、約450km走って
久々の町、
フォート・ネルソン到着。
人口約3800人だけど、アラスカハイウェイ沿線では
これでも相当に大きな町なのです。
町外れのキャンプ場で2泊。
こんな辺境地の中にあって、
この町には大きなスーパーマーケットがあって、
ビールやワイン、肉にチーズに野菜を買い込み、
キャンプ場で豪遊した。
なんたってこのキャンプ場は周囲に頑丈な柵があって
熊は入って来れないのだ。
だから安心して寛げるし、安心して肉も焼ける。
次の大きな町は約500km先のワトソンレイクで、
それまでの間、小さな村と小さな補給所はいくつかあるけど、
当分は生鮮食料品が気安く手に入らないので、
ここでガッツリと肉や野菜を食べておいた。
フォートネルソンから道路は西へ向かう。
毎日、針葉樹と原野の地平を睨みながら
シャカリキになってペダルを踏み続けている。
徒歩の旅にはなかった解放感、完全燃焼感。
それが自転車の旅にはあるようだ。
でも頑張りすぎてブッ倒れてはマズイので
時々30分ほど道端に寝っころがって
休憩を取るようにした。
そうやって休憩しながら、
細々と続く道路以外360°全てが原野。
そんな風景を見、そのスケールのでかさに圧倒され、
思えば遠くへ来たもんだ、と空を見上げたりする。
僕は旅先での、この
「思えば遠くへ来たもんだ」という感覚が好きだ。
徒歩や自転車で目標に向かって走り続ける
ハードな毎日の中にあって、
吊り上がっていた目がフッと緩む時、
というのがある。
夢中になっていた気持ちが一瞬我に返り、
汚れて逞しくなった自分の手や足を見て、
リュックや自転車を見て、
今来た道を振り返り、
ああ、こんな道を僕は旅してきたのか、
あんな山々を越えてきたのか、
思えば遠くへ来たもんだなあ、
日本の友人たちは元気だろうか、
と風に吹かれながら空を見上げる。
味わい深い一瞬。
こういうのを旅情というのだろうか。
カナダ出発前、友人たちから貰った御守り
◆ココロの便秘 絶不調期◆
路面のアスファルトは粗くなり、
穴ボコや部分的な未舗装区間が多くなってきた。
ハイウェイはカナディアン・ロッキー山脈を越えるために
山岳地帯に入る。
このあたりは州立公園が連なる景色の美しいところで、
日本にいる頃から楽しみにしていたのです。
まずストーン・マウンテン州立公園では、
標高1300~1400mの草原と花畑を歩いて
スプリングフラワー湖へトレッキングに行ってみた。
キャンプ場付近がちょうど峠になっており、
すでに標高1000mほど。
キャンプ場にテント設営して、
折り畳みデイパックを背負って徒歩約30分。
残念ながら湖は干上がっていて、
単なる雪原の広い窪地なんだけど、
道路から離れての「サイドハイク」と呼ばれる
こういった寄り道はなかなか楽しかった。
干上がってたスプリングフラワー湖
色んな動物も出てくる。
マウンテンゴート、ストーンシープ、カリブー、
リス、ビーバー。
狼も一回だけ見ることができた。
(もちろん熊もたびたび)
続いてマンチョーレイク州立公園にリアード温泉。
観光スポットは次々と出てくるのだけど、
それに反して僕の調子が悪い。
絶不調なのだ。
このところ何をやっても気合いが入らないし、
しょうもないヘマばっかりやっている。
特に毎日続く向かい風。
なぜかいつも向かい風。
ごくたまには追い風の事もあるのだけど、
風向きによる自転車走行の労力の差が大きく、
そのたびに「トクした」「損した」などと
みみっちいことにいちいちイライラしてしまい、
外的要因に囚われにくい筈の「人力の旅」なのに
風が吹くたびにココロが乱れていた。
さらに気合いの入れどころに限って自転車のチェーンが外れるし、
やたら犬のウンコは踏むし。
ああくそ!ムシャクシャするぜー。
走りながら
F○cking! とか
おんどりゃあ、などと
英語や関西弁を交えて
イライラと悪態をついてばかりなのだ。
しかし調子の悪い本当の理由は
風向きやチェーン外れや犬のウンコではない。
自分でも理由は分かっているのです。
要するに旅も3ヶ月目に入って疲れてきたのだ。
よく言われるように
「3日、3月、3年」とか
「3の倍数(つまり3ヶ月、6ヶ月、12ヶ月…)」とか。
長く旅をしていると、
そういう時期にガクッと落ち込むことがあるらしい。
精神的にも肉体的にも慣れと疲れがやってきて、
緊張の糸が切れたり病気になったりするのだろう。
確かにすっかりカナダに慣れ、
未経験の自転車旅にも慣れ、緊張感の薄れるタイミングだ。
この時の2年前に日本縦断旅をやった時も
2ヶ月目後半から調子が悪くなった経験から、
しばらくすればまた調子も戻るはずだ、
と予想できるのだけど、
今回はひとつ厄介な問題があった。
◆この旅最大の失敗◆
実はこの旅での最大の失敗は
「英語が話せないこと」でした。
もちろんこの2ヶ月余りで
「生存言語」と呼ばれる最低限の語彙や会話は
充分できるようになっていたので、
今では旅そのものに支障は全く無い。
しかし毎日移動しながらの旅なので、
出会った人と深い会話に発展する前に別れてしまうことになるし、
それに僕自身の英語力の不足もあって
「人生」とか「生きがい」とか「青春」といった
曖昧で抽象的・観念的な話や、
大勢での雑談にはまだついていけない。
僕にとってこれは致命的ともいえる失敗に思えたのだ。
・伝えたいこと、
・知りたいこと、
・相手を理解したい気持ち、
・相手に理解されたい気持ち、
それらは毎日次々と生まれてくるのに、
言語という「思考の出口」が塞がれているのだ。
これじゃ便秘と同じじゃないか。
そりゃ苦しいわけだ。
「そっちのほう」は毎日スッキリお通じ、
なんだけどなあ。
つまり日本人に会いたいのだろう。
そして日本語を話したいのだろう。
要はホームシックです。
バンクーバーを出発してから二ヶ月、
その間に日本人に会ったのは、
ウィスラーの釣具屋美人スタッフさんと、
オートバイで世界一周中の
TさんKさんコンビに会った2回、
合計20分ほど話しただけ。
日本人が多いはずのカナダといえども
観光地を外れるとこんなもんなのだ。
今は苦しいけれど
ホワイトホースの町に到着すれば
日本人の一人や二人はいるだろうから、それまでの辛抱だ。
***
さて、フォートネルソンを出発して4日目の午後に
トードリバーの村に到着。
ここの食堂で遅めの昼食を摂る。
ここには私営の小さなキャンプ場があるので、
今夜はここに泊まろうか思案していると、
少し離れたテーブルに4人組の男達が座っており、
4人とも僕を見ていることに気付いた。
「Hi!」(挨拶言葉ね)
と小さく手を上げて挨拶すると、
彼らは妙な目つきで目を逸らし僕を無視する。
「・・・?」
食事中、彼らが再び全員こちらを見ている。
明らかに最初よりも敵意を感じる目つきだ。
しかし再度「Hi!」と挨拶するも
やはり同じ反応で無視する。
これはヤバい。
ここは危険だ、とすぐに出発。
約50km先の州営キャンプ場に向けてすぐに出発した。
後日わかったことなのだけど
この翌日、同じくこの食堂で食事をしたサイクリストも
この態度の悪い4人組を見かけたそうだ。
妙な目つきでこちらを睨んでた、とのこと。
彼がそのまま、その村外れの川原にテントを張っていると
深夜に謎の数人組に襲撃されたらしい。
暗くて相手の顔は見えないまま、
ナイフを手に、夜の川原で数人と対峙するも、
自転車を盗まれてしまう、危険な一夜だったそうです。
幸い翌朝、近くの茂みで自転車は無事な姿で見つかり
旅を続行できたとのこと。
これ、おそらく例のあの4人組だと思う。
(根拠のない断定ですが)
前日の僕がもし、あのままテント張っていたら
僕が襲われてたかもしれない。
そう思うと数日前のプロフェットリバー村での
子供たちの目つきや態度に危険を感じて
村をすぐに去ったのは正解だったのかもしれない。
トードリバー村付近のアラスカハイウェイを上空から(google map より)
***
失礼な態度の謎の4人組にイライラと、
絶不調のままトードリバーの村を脱出し、
さらに約50km走って峠を越え、
マンチョーレイク湖畔の
ストロベリーフラッツ州営キャンプ場到着。
相変わらずテントキャンパーは僕だけ。
多くのアラスカを目指すサイクリストは
僕より約二週間遅れぐらいで走ってくるらしい。
というのは、学校の夏休みが始まるのが、
そのぐらいの時期になるんだとか。
その時期になればテントキャンパーも増えそうだ。
連泊してギターを弾いたり文庫本を読んだり、
せっかく穏やかに過ごしたのもつかの間、
自転車で走り出すとやはり調子悪い。
向かい風にいちいちイライラしてる。
チェーンが外れる。そしてホームシック。
素晴らしい景色の中、僕は不調に喘いでいました
リアード温泉を覗いてみたけど、
日本と違って温水プール感覚で、
みなさん水着や短パン・Tシャツではしゃいでいる。
塞ぎこみがちな僕は、その賑やかさが辛く、
せっかくの観光地なのにスルー。
◆カナダでの消費税事情◆
このころ、バンクーバーからの距離が2000kmを越え、
全行程の半分を過ぎた。
南北に長いブリティッシュコロンビア州が間もなく終わり、
おそらく明日、ユーコン準州に入るだろう。
コールリバー村ではモーテルが安かったので
久々に宿に宿泊。
テレビや風呂は無く、共用シャワーのみ。
それでもこんな僻地で雨風凌げるだけでありがたい。
自転車ごと部屋に入れていいモーテルは、とても助かるのだ
僻地なので物価が高く、レストランでの食事は
バンクーバーあたりの1.5倍かそれ以上の値段。
例えばハンバーガーとコーヒーで約11ドル。
これに税金とチップ込みで14ドルほど。
(感覚的に1ドル=100円が日本の物価と釣り合う感じでした)
注文したハンバーガーに入ってるレタスは僅かで、
しかも乾いてるか、またはしなびている。
それでも、ここでは野菜はありがたい存在。
そうそう、当時の日本では消費税3%でしたが、
カナダでは「州税」と「国税」両方が必要で
合わせて消費税が15%でした。
そのぶん、生活必需品は安価に設定されており、
旅行者目線だと、チーズや小麦粉、牛乳といった
「主食カテゴリー」な食品は相当に安価でした。
◆ティナおばさんとの出会い◆
翌朝、コールリバーを出発してしばらく走ると
車の故障なのか道端に1台の乗用車と
2人の婦人がおり、声をかけた。
「何か困ってますか?」
これまでも僕は自転車で走っていて
休憩や写真撮影などで道端に停車してると
たびたび通過する車から
「何か困ってませんか?」
と声をかけられていたものでした。
アメリカ南部から夫婦で来たティナおばさんは
車の故障で困っていたところ、
カナダ南部から来たハートレー夫婦に、
やはり同じように
「何か困ってますか?」
と声をかけられたそうで、
今は故障車を置いて、それぞれの旦那衆が2人、
助けを呼びに行ってるそうなのだ。
その間、いろいろ話したのだけど、
ティナおばさんは、小柄で笑顔の可愛い
それはそれは魅力的なおばさまでね、
ホームシックな僕はつい、
今の塞ぎこんだ気持ちを打ち明けたのでした。
きっと彼女に甘えたくなったんだろうね。
それを聞いた彼女は言う。
「全ての事はね、巡り巡ってるのよ。」
「はい・・・?」(なんの話だろ?)
「私たち、車の故障で困ってたけど、
そのおかげでハートレイ夫妻と出会えて、
そしてハチベーともこうやって出会えたのよ。」
「このステキな出会いも語らいも、
車の故障のおかげなのよ!」
彼女の言葉を聞きながら、
・・・ああ、確かそういう故事あったな、
「塞翁が馬」
たしか、そんな言葉だったっけ。
旦那衆が連れて来たメカニックに見覚えがあった。
昨夜僕が泊まったモーテルのオーナーだ。
「あれ?君は確か昨夜の自転車旅の!」
「オヤジさん、車の修理も出来るの!?」
「こんな辺境地だからな、
何でも自分でやれなきゃ生きて行けないからな。
車だけじゃなく、建物の修理も請け負ってるよ。」
僕は車の事はよくわからないけど、
古くなった部品を交換したらすぐにエンジンがかかった。
「取りあえず直ったけど、古い部品だから
ホワイトホースの町に着いたら、
本職の店で診てもらった方がいいよ。」
と、メカニックおじさんは戻って行った。
「ね?ハチベー、車の故障のおかげで
こうやって六人が出会えたのよ、
素晴らしいしょ?」
とティナおばさん。
きっと、塞ぎ込んだ気分だからこそ出会えることがあって、
見える景色もあって、だからホームシックも、
あるがまま受け入れて楽しみなさい、
・・・きっと彼女はそう伝えたいんだろうな。
単純にも僕はもうそれだけで嬉しくなっちゃってね、
この出会いで僕は絶不調を脱したようで、
ここからは再び心穏やかに楽しく走ることができたものでした。
塞ぎ込んでなければ彼女の言葉にも、
僕はあまり反応できなかっただろう。
彼女の車の故障が、僕の心の故障を治してくれたのだ。
ティナおばさん達と住所交換の図。後ろは故障した車
◆ワトソンレイクの町に到着◆
ティナおばさんとの出会いで、僕の心は持ち直したけど
次の町ワトソン・レイクに早いとこ到着したい。
フォート・ネルソン以来まともな村が無く、
生鮮食料品がほとんど手に入っていないのだ。
手持ちの食料は米、調味料、チョコレート、
インスタントラーメンだけなので
肉、野菜、果物を腹いっぱい食べたい。
もちろんビールも飲みたい。
ここより憧れのユーコン準州
ところで僕の後ろ数十キロぐらいを
サイクリストが走ってるぞ、と
僕を追い越す車から度々聞かされていた情報。
僕と同じアラスカ方面を目指す自転車の旅人とは
まだ一度も出会っていないので、
ぜひ会ってみたいものだ。
やはり同志との出会いはテンションあがるからね!
でもまあとにかく。
町まであと少し!
ドーソンクリークの町から約950km走って
6月7日、ワトソンレイクの町に到着!
辺境厳しかったこの500km区間を越えられた!
この喜びは我ながら大きく、
そしてこの町にいる限りは熊や食料に悩むことも無い。
スーパーに並ぶ豊富な生鮮食料品を見て
「文明っていいなあ・・・」と
つくづく思ったものだった。
(つづきます)
ついに憧れのユーコンへ!
次回、アラスカを目指す日本人と出会って、
しばらくの間「2人旅」となります。
(その1)どこを、どう行くか!?
(その2)何を持って行くか!?
(その3)バンクーバーから徒歩旅開始!
(その4)雪と沙漠とインディアン
(その5)プリンスジョージの町に到着!
(その6)ついに熊と遭遇!
(その7)徒歩旅の続行と終了
(その8)憧れのアラスカハイウェイを自転車で走る!
(その9)絶不調!この旅最大の失敗
←今ここ
(その10)夢のホワイトホース到達!
(その11)ユーコン川をカヤックで下る
(その12)北極圏を自転車で越える!
(その13)ついに北極海!
(番外編1)テズリン川カヤック旅
(番外編2)チルクート・トレイルを歩いてアラスカへ
(最終回)夢の終わり これからの現実