『回顧録』1995年 カナダ南北縦断4000㎞人力の旅 (最終回)夢の終わり これからの現実

八兵衛

2020年04月18日 02:06


ユーコンの川下りの川原にて。
アツシはなぜか散髪用ハサミを持ってたので川原で散髪してもらった、の図。




(その1)どこを、どう行くか!?
(その2)何を持って行くか!?
(その3)バンクーバーから徒歩旅開始!
(その4)雪と沙漠とインディアン
(その5)プリンスジョージの町に到着!
(その6)ついに熊と遭遇!
(その7)徒歩旅の続行と終了
(その8)憧れのアラスカハイウェイを自転車で走る!
(その9)絶不調!この旅最大の失敗
(その10)夢のホワイトホース到達!
(その11)ユーコン川をカヤックで下る
(その12)北極圏を自転車で越える!
(その13)ついに北極海!
(番外編1)テズリン川カヤック旅
(番外編2)チルクート・トレイルを歩いてアラスカへ
(最終回)夢の終わり これからの現実 ← 今ここ




『カナダ回顧録シリーズ』は前回まで
無駄に長く書いておりました。
オッサンの恥ずかしい自分語りが長きにわたり大爆発。

お付き合いくださった皆様、
安心してください!今回で終わりです(^^





***



旅を実行するまでは、
日本縦断の徒歩旅やカナダアラスカの旅を
恥ずかしながら僕は
「大冒険!!」と思ってました。

それとあともう一つ。
冒険でありながらも、
自己表現というか、創作活動の一種、
みたいなものだとも思っていました。

「創作活動」というと分かりにくいけど、例えば
次元は全く違うけど大袈裟に言うなら
音楽家が曲を作る、ランナーが42.195kmを走る、小説家が小説を書く、
そういった事と近い次元の行動だと思ってたのです。
(思い上がり甚だしい・・・)

だからカナダに出発する前は、
大冒険だ、自己表現だ、うわおれスゲー
などとイキがって(脳内で)大騒ぎしてました。

ところが実際に冒険を実行してみたら、
単純に「旅」でした。
冒険でもなければ、自己表現でもない。
「普通に旅」だったのですよ。
それが実感です。

(こうやって旅行記を書いてる時点で
 言わば「自己表現」なのですが。)

当時を振り返りながら、長々と
旅行記を書いてみてあらためてそう思います。

ブログで書いてきたように、
現地で出会った多くの人との出会いや会話無しには
絶対に旅は続けられなかったし、
あと、アツシとの出会いも大きかった。
彼に助けられたこと数知れず。

さらに言えば、僕とは比較にならないぐらいの
とんでもないレベルの冒険家と数多く出会い、
自分の旅を「冒険」などと宣うのが
すっかり恥ずかしくなりまして・・・

当時、僕が憧れたりしていた冒険家の方が
「自分は冒険家ではない」
「冒険家と呼ばれることに違和感を感じる」
と仰ることが多く、
それが僕には長い間不思議でした。

もちろん理由はこれだけじゃないと思いますが
でも自分で実際にやってみて、
なんとなく納得できたような気がしました。

***



さて、五ヶ月の旅を終えて九月に帰国。

とにかくお金がほとんど尽きてたので
今後、就職活動するにせよ、
再び旅に出るにせよ
多少のお金は必要なので
しばらくの間はアルバイトに集中することにしました。

この時期はまだ心に勢いがあって
「またどこか旅に出ようかな」などと
うっすら考えたりしてたぐらいで、
だから後から思えば、ですが
心に勢いの残っていたこの時期に
次の目標(旅でも就職でも)を見つけておくべきでした。
ホントこれは後悔しています。

だけど長い間、
冒険旅の目標だけに全力を注いでいたので
「そのあとの人生」なんて考えたこともなかった。

だけど「そのあと」は当たり前だけど
僕の目の前にやってきて現実を突きつけるのです。

***

キャンプ場では人懐っこいリスをよく見かけた。


この時期は日々バイトしながら
装備提供をしてくれたモンベルに写真やレポートを送ったり、
故障したテントをアライテントに送るついでに
写真や細かいレポートを送ったりしていました。

あと、カナダの旅行記を個人的に細々と書き始めたり
友人の作るミニコミ誌に、
アウトドアや旅の小ネタ記事を
毎月書かせてもらったりしていました。

でもこの時期の僕は今後の展望もなく、
日本縦断とカナダ縦断という、
少年時代からの夢と目標を叶えたことに
ただ無為に酔いしれていただけでした。

翌年夏、知床半島に長期滞在し、
知床の奥地探検や、生息する2種類のイワナの
分布境界線を探る旅を行って久々に実家に帰宅。

この時すでに僕は27歳後半。
バイトと知床に明け暮れて、気が付けば
カナダ帰国から丸1年が経過していた。




・・・ここで今さらのように
突然、現実に気づいた。

結局僕は何がしたいのだ?
一貫性もなく、ビジョンもなく、
ただ無為にバイトして一年間を浪費しただけだ。

もちろん北海道でイワナ調査をしたことは楽しかったし、
知的好奇心を満たす新しい旅だった。

しかし「その先」を何も見据えていなかったことに
いまさら気づいて愕然とした。

さらに言えば、カナダ旅を終えてからも、
しばらく続いてた漠然とした心のエネルギー。
ここへきて、その心のエネルギーの尽きる時がやってきた。

***

イヌビックにて。イタリア人サイクリスト青年四人組と。



「これからどうするのか」を
真剣に考えなくてはならないのに、
いったい自分は何をすればいいのだろうか・・・

目標の無くなったこの先の人生に、
がんばって生きていく程の価値や意味があるのか?
とかなんとか、恥ずかしい話ですが
実家で布団にくるまって
半年ほどの間、ヒキコモリをしていました。

かといって、ずっと実家にいるのも辛いし、
実家は商売をやってたので近所からも目立つのです。
昼間にコンビニなどに出かけると
すぐに近所で噂になったりね。

「あそこの息子さん、昼間からブラブラして!」

とかなんとか、ヒキコモリは心が屈折してるので
近所のオバさん達の単なる立ち話さえも
ヒネくれて被害妄想的に捉えてしまい、
ますます外出できなくなる負のスパイラルな毎日。
これではイカンと焦るけど、
心が閉じていると体が動かなくなるようだった。

僕が15歳当時、影響を受けた冒険旅行本の中には
情熱を傾けた冒険旅行後の
虚脱感に苦しんだことを書かれてた方が居られました。
だから僕も虚脱感の想定はしていたのだけど、
一年遅れてやってきたこの虚脱感は
あまりにも想像以上でした。

ハタから見れば単なる無職で
ブラブラしてるだけの怠け者。
でも本人的には毎日が自己嫌悪と焦りの日々で
今から思い返しても苦しい日々でした。

もちろん人生にはもっと大変なことなんて、
いくらでもあります。
そもそも、多くの人は引きこもる余裕なんてありません。
ヒキコモリが可能なこと自体、
貯金なり親なり実家なり、
頼るアテがあるから成立する
とても恵まれた状態なんだと思います。
多くの場合、引きこもりたくても
働かざるを得ません。

***

夢に向かってずっと真っ直ぐで、
自分でも眩しかったと思う以前の自分。

それに対して、夢もなくビジョンも無く
ヒキコモリな今の自分が許せない。
自己嫌悪の負のスパイラル。

何かしなきゃ。何とかしなきゃ。
だけど何をすればいいのか、
いや、その前に体が動かない・・・

旅暮らしの頃は夢があるから頑張れた。
目標があるから、辛いことでも弾き飛ばせた。
世間からの白い目も、笑って受け流せた。

なのに夢や目標が無ければ、
僕はこれほどまでに情けない、
何もできない人間だったのか。

・・・だったら、夢なんか叶えなきゃ良かった。
・・・だったら、目標なんか果たさなきゃ良かった。
と、本気でそう思ったあの頃。

***

カヤックの上で爆睡するアツシ


そんな情けない自分や毎日が嫌で、
実家からも、ご近所からも逃げ出した結果、
引きこもるために登山をする機会が増えました。

当時はヒキコモリのくせに「体力の貯金」があったので
70リットルの大型登山リュックにテント装備一式担いで、
平気で何日でも縦走登山が出来ていたのです。

何日分かの食料を積み、
多分23kgぐらいの重量だったと思う。
(以前の旅に比べたら軽量ギアの導入で
 ずいぶんと荷物は軽くなったものですが。)

誰にも会いたくないし無職なので
平日の深い山を主に歩きました。
誰にも会わず、山を黙々と歩く。
きっと僕は暗い表情で歩いてただろうな。

これから何をして生きて行こう。
そればかりボンヤリと考えていた。

でも目標のない今、独身だった僕には
「旅を住処とする」的な生活を止めてまでの
就職をする理由が見つからない。
強いて言えば親を安心させるため?

できることなら、登山している今ここで、
いっそ遭難してしまえたらいいのに・・・!
などと危うい事を考えたり。

***


カナダ旅以降も、アウトドアメーカーから
新製品や試作品の提供を受けたりして
収入的なものも少しだけあったけど
そんなものはホンの僅かで、
それだけで生活できるわけでなし。

「次の冒険旅行に出発!」も考えました。
せっかくアウトドアメーカーとも繋がりができたし
アウトドア雑誌にも旅行記を書かせてもらえたし、
雑誌の編集部とも僅かだけど繋がりが出来た。

日本縦断、次いでカナダアラスカ旅で実績も出来たので、
次回以降となれば、
もっとスポンサードしてもらえるかもしれないし、
アウトドア雑誌も前回より大きく扱ってくれるかもしれない。

それに友人の運営するミニコミ誌に
アウトドアや旅の小ネタ記事を毎月書いていたし、
それならこのまま冒険旅のライター的なこと、
出来るかどうかはわからないけど
挑戦してみようか・・・?


しかし、です。

あらためて考えてみる。
もう一度冒険旅行に出るとしたら・・・

何度も熊に遭遇したり襲われかけたり
食料計画を綿密に立てて行動したりと、
わりと真剣に命がけの行動を最後まで貫けたのは
少年時代からの長い憧れや夢だったからだ。
だから頑張れた。

でも次回以降となれば、
アウトドア雑誌なりに旅行記を書く前提で
冒険旅行を行うことになる。
(かといって雑誌に採用されるとは限らない。)

商業誌への掲載前提となれば当然、
読者の存在を意識した旅になる。
そういうことの為の冒険に命を賭けられるか!?

・・・答えはある意味明快でした。

これまでは「夢」だったけど、
次回以降は「仕事」になってしまう。

仕事に命を賭けるほどの覚悟は
僕には無かったのです。

覚悟が無かったとも言えるし、
そもそも日本縦断とカナダ縦断で、
僕の目標はいったん完結してたので
僕自身がすでに満足してしまっていたと思う。

「仕事」だの「覚悟」だの、
そんなことを考えるまでもなく行動できた
若い頃のあの湧き上がる情熱が、
もう僕の中に感じられなかった。

本気の努力と情熱と覚悟を決めた人だけが、
冒険家として、ライターとして
次のステップに行けたのだと思う。

ましてこの一年間、何の努力もしてなかった僕が、
冒険家だのライターだのになれるような
甘い世界でもないし。

つまり僕はここで脱落です。
現代ふうに言うなら卒業というか引退というか。

僕の「冒険家ごっこ」もここで終わりです。

***



この時期、翌年5月までの8ヶ月ほどの間、
お金はないけど時間と体力はあって、
でも誰にも会いたくなかったので
人の居ない山域に度々登山に行って、
「アクティブなヒキコモリ」という
わけのわからない時期を過ごすことになりました。

ようやく普通に就職することを決心するも
また色々悩んで、
新聞社やアウトドアメーカー、茅葺職人や林業など
求人がなくても問い合わせて面接に行ったり
話を聞きに行ったり。

結局、もともと小さい資格を持っていたので
それを活かせる分野で就職することになり、
こうして15歳から続いた
超個人的夢物語が終わりました。


***



アルコール度数のやたら高いビール。モルソン・トリプルX



・・・長くなりました。

オッサンのクソ長い半生記など
心底どうでもいい話であります。

でも冒険旅そのものより、
旅に出発する前と、旅を終えた後、
迷って悩んで葛藤した時期。
そういうのがオッサンになった今となれば
懐かしくも恥ずかしい、
照れくさくもアツい気持ちになれるものでして(^^

ヒキコモリ経験も今となれば、
あれはあれでいい経験だったと思いますし、
ヒキコモリ時代があったから登山の面白さも知りました。

結局、社会復帰した時には28歳になっていました。
僕は社会人として、同年代の人より
相当遅れて就職したわけなので、
この遅れを取り返すのが大変でしたし、
これはいまだに取り返せてない、と日々感じます。

なにより驚いたのが、会社員生活のハードなこと!
僕だけじゃなく、周りの同僚も、
学生時代の友人とかも、みんな大変そうでした。
世の会社員達は、
こんなハードな毎日を送ってるのか、と。


***


『回顧録:カナダ縦断シリーズ』はこれにて終わりです。
ものすごく長い話になってしまいました。

いつも読んで下さった方、ありがとうございました。


小さな単発ネタはいくつかあるんで
『回顧録』自体は今後も細く続けようかと思います。


(おしまい)


(その1)どこを、どう行くか!?
(その2)何を持って行くか!?
(その3)バンクーバーから徒歩旅開始!
(その4)雪と沙漠とインディアン
(その5)プリンスジョージの町に到着!
(その6)ついに熊と遭遇!
(その7)徒歩旅の続行と終了
(その8)憧れのアラスカハイウェイを自転車で走る!
(その9)絶不調!この旅最大の失敗
(その10)夢のホワイトホース到達!
(その11)ユーコン川をカヤックで下る
(その12)北極圏を自転車で越える!
(その13)ついに北極海!
(番外編1)テズリン川カヤック旅
(番外編2)チルクート・トレイルを歩いてアラスカへ
(最終回)夢の終わり これからの現実 ← 今ここ




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